祈りと救い。

今日は法事がありまして、正座で足が痺れて泣いてました。
本来は父と母が出席するのですが、母が仕事を休めず急遽私が出席することに。
「永代経」という行事で、父方の親族がお世話になってる寺に坊さんが集まってお経を読むんだとか。毎年行われるそうですが、今回は去年従姉妹が亡くなったということで特別参加。実はそんなに信心深くないです^^;


とりあえず東京から来た偉い坊さんが何やらお話。・・・眠い。花粉症の薬の副作用や天気のせいもあるんだろうけど、それだけじゃない。
話がつまんないのよ!基本的にこういう席のお話は面白い必要は無いんだけど、無駄に長くて内容が薄い。足が痺れるばっかりでしんどかった・・・。
でもまぁ、最初は聞いてました。しかし居眠りさん続出。中にはいびきをかく猛者も。
そのうち年配の方も飽きてきたのか、世間話を始めるわけですよ。「この後お菓子は出ねぇのかねい?」(←出ません。見返りをやたら要求する茨城県民の悪い癖)「そういやあ、あそこの爺さんはそろそろ危ないってよぉ〜」「いや、婆さんのほうが先でないの?」「わがんね〜なぁ。」もう説法そっちのけ。
その後は坊さん約7名による読経をBGMに、延々とお焼香。
最後に住職がご挨拶で終了。途中のトイレ休憩を含めて2時間くらい拘束。もっと長く感じました・・・。
お話の内容でうっすら覚えてるのは「とりあえず南無阿弥陀仏って言っとけ」という事かな?浄土真宗って他の宗派よりはアバウトらしいです。お布施っぽいのも無いし。世間体があるので一応法事の度にお金は包んでるらしいけど。貧乏さんだったら無理しなくて良いらしいです。


意味があるのか無いのか自分には解らない法事の後に、衝撃的なニュースを耳にしました。
牧師(と言っても新興宗教の教祖みたいなもん)が12歳の女の子を暴行したとか。宗教で判断能力を失わせた上での性的虐待・・・。卑劣極まりない手口です。
容疑者は教団内では絶対的な存在で、教義も大雑把に言うと「ついてこない奴は地獄に堕ちる」といった感じ。典型的なカルト教団ですわ。
余罪も多そうで、聖職者にあるまじき輩ですね。ん〜、聖職者といえど人の子って事か?
いや、人として間違ってます。こいつ。


こんなニュースを聞くたび、「宗教って何?」と考えてしまうのです。我が家にとって宗教(というかお寺さん)は行事の一環で、生活に溶け込んでいます。盆、彼岸、葬儀、1周忌、全部親戚付き合いがあるから行っているのだと思います。
もちろん親しい人の法事は哀悼の意があって参加してます。死者にお別れをしたり、思い出したり・・・。気持ちに区切りをつける大切な儀式として。
しかし私は神や仏に救いを求めたことはありません。目に見えない存在への疑念、もし存在したとしても自分のようなちっぽけな人間には構ってくれないよな〜という諦め、どうせ言われてるほどの力は持ってないんだろ?という不信感などがあり、「神様仏様!」と祈った事はありません。
何かに祈ることで精神的に安定するなら良いのですが、それが強い依存に繋がりそうで怖いのですよ。
でも無意識に祈った事はあります。最近だと日本代表対バーレーン戦とか。「なんとか勝ってくれ!!」と強く願いました。それは選手への期待が主ですが、それを超えた奇跡を待っていたのかも。幸い日本は辛くも勝利。ただの偶然だったのか、それとも祈りに対する救いだったのか・・・。
元々集団で特定の何かを崇拝することが嫌いなので無宗派で居続けると思いますが、ひとつだけ信じたいことがあります。
「世の中に絶対は無い」。平家物語の冒頭のような虚しさを感じるか、逆境に陥ったときの希望と捉えるかは人それぞれですね。