新札登場!お疲れ、稲造&漱石。

本日のニューフェイス、一葉ちゃんと英世ちゃんでーす!!
リニューアル諭吉くんも揃えてみました。ん〜、見慣れないせいかチープに感じる・・・。
新札のモデルとなった樋口一葉野口英世については、マスコミで業績を紹介されているものの、引退した新渡戸稲造夏目漱石の影が薄くなってしまうのが寂しいなぁと思い、業績を紹介してみようと考えました。特に新渡戸稲造の功績は知らない人が多いのでは?・・・実は私も良く知らなかったです。すまん。


まずは旧5000円札新渡戸稲造から。文久2年(江戸時代、1862年)に生まれ、明治4年(1871)に上京、東京英語学校、札幌農学校東京大学を経て、アメリカ、ドイツへ留学。高学歴ですね〜。明治24年にはアメリカ人のメリー・エルキントン嬢と結婚。国際結婚だなんて当時じゃハイカラでしたなぁ。明治32年には内助の功もあってか、日本初の農学博士。翌年はアメリカで「武士道」を出版。明治44年、初の日米交換教授としてアメリカで講義。大正9年、国際連盟事務局次長就任。昭和元年、貴族院議員就任。昭和8年、カナダでの太平洋会議に日本側理事長として出席。同年、カナダのビクトリアで逝去。享年71歳でした。
「われ太平洋の架け橋とならん」という言葉を掲げ、まさに国際人として大活躍しておりました。学者として、教育者として、政治家として、日本と海外の国際交流のために尽力された立派なお方。著書の「武士道」は多くの有名人に影響を与えました。


お次は夏目漱石。本名は夏目金之助。慶応3年(1867)に生まれ、幼くして養子に出される。東京帝国大学卒業後、松山中学校、熊本第五高等学校で英語を教える。この頃、結婚。明治33年から35年まで英国へ留学。帰国後は東京帝国大学でなどで教鞭をとりつつ、「我が輩は猫である」「坊ちゃん」「草枕」を執筆。明治40年には教職を辞め、朝日新聞社に入社。以後は作家として活躍します。「三四郎」「それから」「門」「彼岸過迄」「行人」「こゝろ」「道草」「明暗」(未完)などを執筆。大正5年、胃潰瘍のため逝去。享年50歳でした。
国語の教科書で作品に触れた事がある人が多いので、説明不要かと思います。正岡子規との交流もあったんですね。胃潰瘍になるくらいなので、結構繊細な人だったようです。帰国後しばらくは精神が不安定だったようです。クリエイティブなお仕事は、今も昔も苦労が絶えないんですね〜。作家として活躍した期間は短かったですが、多くの作品を世に送り出したお方です。


今回お役目を終えた稲造さんと漱石さん、お疲れ様でした〜!でも自販機によっては新札を認識出来ないものが多いそうなので、彼らの出番はまだまだあります。
数十年後にはどんな偉人がお札の顔になるんでしょうか?1000円札はやっぱりヒゲキャラ枠?だとしたら次は田代・・・ゲフンゲフン(笑)


〜今日の出来事〜
生理2日目で死んでました。鉄分摂って生き延びてます。今回は痛みもさることながら、吐き気が・・・。つわりってこんな状態なのかなぁ?
夜にはやっと元気になりました。んで弟のFOMAのアプリ、ドラクエのレベル上げを命じられ、せっせとLV17まで上げました。だいぶ強くなったぜ、勇者こう○ち。ちなみに父の内蔵アプリの中では勇者の名前は、ヒロシです・・・。