神様仏様の話。

さっき、エホバの証人の女性が小冊子を渡していった。
月二回ほど我が家に来て、新しい小冊子を置いて帰る。
「暑いですね〜」とか「お加減いかがですか?」とか、他愛のない話をするだけ。
宗教的な話は「神は楽園での復活を約束しておられます」程度。
勧誘は一切なし。
こちらから話をすれば入信の方向へ行くんだろうけども。
やや厳しい教義の関係で、私は話を聞くだけにしている。
輸血を頑なに拒んだり、格闘技を禁止したり、ん〜・・・守れません。
こちらも禁止されているマスターベーションや婚前交渉も、もう破ってるからね。


でもしつこい勧誘が無いから、信じるのは自由だし良いと思う。
問題は、しつこい折伏(勧誘)と公明党への投票をお願いをする創価学会
日本国民には思想・信条の自由がある。
強制はいけないのだ。
「入信しないと仏罰が下る!」「信じれば人生薔薇色!」
・・・現状維持で結構です。
学会員が幸せなら、皆進んで入信するはず。
私の目から見たら、哀れにすら思えるときがある。


学会が支持母体である公明党は、今や自民党と連立して与党に君臨している。
これは政教分離原則(政治と宗教は繋がってはいけない)に違反する行為だ。
それでも、学会員の元友人(私は友人とは思っていない)は、友達面して投票のお願いにやってくる。
幼い頃、私を裏切ったのに。忘れてしまったようだ。
20歳になったら、さっそくやってきた。
それ以来、選挙の時だけ自宅に来る。


個人的には、仏様や日蓮聖人よりも、名誉会長・池田大作を崇拝しているような雰囲気に疑問を感じる。
一度一ヶ月だけ、ご近所の頼みで断れなく聖教新聞を取ったことがあるが、まるで「池田さんファンクラブ会報」で、読むのが苦痛だった。


折伏のしつこさでは負けてはいないのが顕正会
こちらも日蓮系だが、創価学会とは対立しているらしい。
手口は悪質で、旧友をファミレスへ誘い出し、集団で囲んで「仏法」とやらを説く。


私の場合は同級生が自宅へ来た。幹部風の弁の立つ女性と一緒に。
「巨大地震が日本を襲う!」「中国が攻めてくる!」という話とともに、「入信すれば心の病も治る!」「これを読んでみて!」と分厚い冊子を渡してきた。
パラッと目を通したあと丁重に焼却し、煙は天に昇っていった。


物損事故を起こしてしまった時も折伏された。
相手は被害者。加害者の私に妙に優しい。
職場なども聞かれたが、当時無職だったので事実を伝えた。
後日「お仕事を紹介したいの。ファミレスで待ってますね。」とお誘いが。
事故の件もあるので、両親を同席させたがこれが正解だった。
当日は事故の話もそこそこに、「無職なのは本当の仏法を知らないから」「不幸な顔をしている」と。
幸薄そうな顔は生まれつきだ。失礼な女性だと思った。
で、お次は「このままでは日本は滅んでしまう!」と真顔で訴えてきた。
両親が「うちは浄土真宗なんで・・・」と断ると、「地獄に落ちますよ!」と反発。
・・・対話にならない。
「事故の件はしっかり保証しますから、失礼します」と足早にファミレスを後にした。
両親が居てくれてよかった。
一人だったら逃げ出せなかったかもしれない。


そんなわけで、私は無宗教というよりは宗教不信に陥っている。
そんなに凄い力を持った神様仏様がいるなら、なぜこの世から戦争が無くならないのでしょうか?
信じるも何も、物心も付かない幼い子供たちが亡くなっていくのは何故なのでしょうか?
自分を信じる人間しか救ってくれないなんて、器が小さいのではありませんか?
もしかして寝てます?この荒んだ世界を見ないで、ぼーっとしてるのでは?
一回たくさんの人々の前に出てきて、問題を解決してみては?
「見えないから存在を信じない」って人、多いと思いますよ。
私もにわかに信じがたいですから。


これは私の持論なんですが、「宗教は人間の脳が生み出した精神安定剤である」と考えています。
絶対的な心の支えを得るため、太古の人間は「神」という存在を作り出したのでは、と。
最初は心の慰めだったはずの「神」は、人間を統率するための道具になってしまった。
「仏」も同様に、権力者の道具にされているのが現状。


我が家は父方からの流れで、浄土真宗大谷派です。
通称お東さん。総本山が京都の東本願寺だから。
無宗教の私だけど、先祖は大切にしたい。
だから、弔い方の「流派」として基本は覚えている。
葬儀の大まかな流れ、線香の上げ方、遺体や遺骨に対する心構えなど。
先祖代々受け継がれた「お作法」としての仏教。


だから、私は他の宗教を弾圧するつもりはない。
神や仏に祈ることで心が安らぐのなら、それも良いと思う。
だが、「自分たちの教えは絶対に正義で、それ以外は悪である」という考えは、争いを生むだけだと思う。
もしそれを良しとする神や仏ならば、助けていただかなくても結構。
地獄に落ちるのなら、家族も友達も一緒だもの。怖くはない。